ダイヤモンド市場

国際的なダイヤモンド業界の発展は100年たらずでしかありません。

ダイヤモンドの売買は数千年も前から行われていましたが、国際的なダイヤモンド業界の発展は100年たらずでしかありません。

アフリカでダイヤモンドが発見される以前には、ダイヤモンドに関心のある人はほとんどいなかったのです。

インドおよびブラジルの漂砂鉱床産ダイヤモンドは、一般の人々にとって、あまりに稀少性が高く高価でした。

しかし、アフリカのダイヤモンドが安定して供給されるようになると体系的な市場努力を活気づかせ、これにより、ほぼ誰もがダイヤモンドを持てるという夢が生まれました。

経験豊富な投機師たちは、最初の突然の発見後間もなく、アフリカに一攫千金の夢があることに気づき、鉱区の利権の奪い合いは流血事件になることが多く、死者の出ることもありました。

騒ぎがおさまった後に、セシルローズがダイヤモンド王として他に並ぶ者なく君臨していました。

彼が死亡した1902年には、彼が設立したデビアスコンソリデーテッドマインズ社が世界のダイヤモンド産出量の90%を支配していました。

それ以降、ローズの後継者の下でデビアスは成長を続け、世界規模のダイヤモンド産業促進を行っています。

市場管理部門であるロンドンを本部とする中央販売機構が世界中の天然ダイヤモンド生産量の80%を(直接または間接的に)占め、世界中のダイヤモンド業界の発展に寄与してきました。

共同事業者、関連会社、および許可者達の複雑なネットワークを通して、中央販売機構(CSO)は世界中のダイヤモンドを集め、分類し、グレーディングを実施します。

それから、年10回、注意深く選択された宝石品質の裸石の割当分が主なカッターに販売されます。

これらの販売はサイトと呼ばれ、招待者に限定され、これに参加するカッター達はサイトホールダーとして知られています。

サイトホールダーでないカッターはサイトを開催する業者、またはネットワーク外から裸石を購入しなければなりません。

裸石はサイトからベルギー、イスラエル、インド、南アフリカ、およびアフリカ合衆国のカッティングセンターに送られます。

ソ連やオーストラリアなどの数カ国は、ダイヤモンドの一部をCSOを通じて販売し、一部は自国のカッティング業界のために取っています。

カッターは製造または販売機構に属さないため、カットしたダイヤモンドをジュエリー製造業者およびダイヤモンド卸売業者に販売し、これらの業者がジュエリー卸売業者と小売のジュエリー店に販売するのです。

2000年代のダイヤモンド流通市場

2000年代に入り、この様にダイヤモンド業界全体を統制してきたデビアス社も、昨今新しい鉱山がロシア、オーストラリア、カナダ、中国で見つかるにつれてその統治を緩めることを発表、規模を縮小し現在ではLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)と共同で新しい事業を創め、DTC(ディーティーシー:旧デビアス)という名を冠しカルティエやティファニーと同様の高級宝飾ブランドの一つとなっています。

奇しくも、同社が執り行ってきた1930年代からのダイヤモンド原石の需給調整による価格統制の取りやめが、ダイヤモンドの生産・流通過程の透明化を大きく進める見通しとなりました。

流通経路が多岐に渡る現在でも、ダイヤモンドは数千マイルおよび数百万年もの旅の後、最終的に全く独自の歴史を有するジュエリーとなるのです。

現在の世界的なダイヤモンドジュエリー市場には、様々な価格の目もくらむほどの種類のデザインがあります。

現在その最大の市場はアメリカと日本になり、中国の勢いがそれらに迫っています。

また、 この貴重な商品を売買するためには、国際的に正確な比較基準が必要となります。

それが、4つのCとなります。

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